美術家  小林正樹
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中之条ビエンナーレ 小さな蔵の物語(7)

ゴールデン ライス タワー Golden Rice Tower 

お米持ちはお金持ち

 

蔵の中には「お米」にまつわる器や道具も沢山遺されていました。
そんな民具と組み合わせた「お米」が主題の作品です。

 

 

白い粒は、蔵にあった大変古いお米です。

餅米でしょうか。
すっかり小さな粒になっていました。

 


「お米価格表」

一俵の値段の変遷が分かります。

この額入りのお米価格表も蔵にあったものですが、
かなり汚れていたものを奇麗に掃除して作品の一部として展示しました。

この表に見入るご年配のお客様、沢山おられました。

明治元年から昭和55年まで表記されているので、昭和55年印刷のものでしょうか。蔵に遺っていたモノのなかでは比較的新しい部類のものです。

昭和一桁の新聞(女学校に行けない女子の勉強方法の記事に驚き)があったりしますから…

 

明治元年2円39銭が、

昭和55年には17674円。

一俵は四升、60kgだそうです。

 

 

展示会場ノートに頂いたお客様のコメントの抜粋。


「昭和30年代頃までは、米作地帯の農家でも、オジヤ(※1)にしたり、カテ飯(※2)にして米の消費をへらし、余ったお米をお金に交換する時代でした。こんなことからお米の価格推移とタワーの対比がうまく演出したとかんじます」


ご年配の方でしょうか、コメント有り難いです。

大変勉強になります。
「カテ飯」昭和40年代生まれの私は知りませんでした。

 

※1、オジヤ = 雑炊

※2、カテ飯 = 糅飯・量の不足を補う為に雑穀や野菜類を混ぜて炊いた飯

 

 

 

お米が大変貴重だった時代がありました。

 

今から70年前、戦時下の昭和18年。

一人当たり一日の配給は、たった二合三勺(345g)だったそうです。(※1)

この量で摂取できる栄養価は成人男性の必要とされる量の半分だそうです。

末期は、お米もほとんど無くなり代わりに野菜や缶詰の配給になっていったそうです。

今のようにパンや肉など他の食材はほとんど手に入らない時代ですから、当時のお母さん達は家族の為に大変苦労されたのだと思います。

子供が飢える事程、悲しい事はありませんから。

(※2)

 

今でこそ、日本の平均寿命は世界一ですが、

当時は50歳に達していませんでした。

単純な比較はできませんが、数字だけならば現代の深刻な世界最貧国と同じレベルです。(※3)


そんな貴重なお米も1970年代頃から流通米と同じ量の余剰米が問題となり政府は減反政策へと舵を切ります。この後、日本は飽食の時代バブルに向かって行くこととなります。

 

お隣の展示会場「大きな蔵」はかつて地区の米の配給所だったそうです。
地元の年配の方が「子供の頃はね、よく券を持ってお米を買いに来たもんだよ」とおっしゃっていました。
こんなお話を聞けるのも中之条ビエンナーレの楽しいところです。

 

 

 

(※1)

法政大学大原社研_主要食料の配給と消費

(※2)

終戦直後の「食」毎日新聞

(※3)

厚生労働省HP、平均余命の年次推移
平均寿命・WHO世界保険統計2013年度版 memorva.jp

 

 

 

 

 

先端の真鍮の造形物は私によるものですが、その下は朱の漆器、朱のお櫃、羽釜大中小三段、大きなお櫃二段。これらは蔵に遺されたモノ。
右奥に立てかけてあるのは、小さい羽釜の蓋。

分厚い無垢の木で出来ていて存在感十分です。

下段の黒塗りのお櫃は、お祝い事のときなどに使われたそうです。
大変大きなものです。

何升入るのでしょうか。

 

沢山のお客様を招いて、沢山のお膳の上の漆器に豪華な料理。

きっと賑やかだったにちがいありません。

 

 

これにて「小さな蔵の物語」はおしまいです 。

お付き合い頂き有り難うございました。

 

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